獅子てんや | 瀬戸わんや |
生年月日 | |
1924年(大正13年)6月25日 | 1926年(大正15年)3月10日 |
没年月日 | |
年月日 | 1993年(平成5年)2月10日 脳梗塞で死去(享年67才) |
出身地 | |
東京府荏原郡平塚村(現・品川区) | 大阪市南区(現・中央区) |
趣味・特技 | |
1937年 高等小学校を中退し、電機製品工場に就職 1943年 19歳で海軍に応召。追浜・霞ケ浦の予科練で敗戦 間もなく警視庁に採用され、原宿警察署・丸の内警察署の巡査を経て 1950年の国家警察予備隊の発足と共に分隊長に昇進 ラジオから流れる漫才に心奪われ、人気絶頂の内海突破に弟子入り わんやの死後は芸能界から退き、妻の勧めで在家仏教協会に入会、講演活動を行っている。 |
1940年 高等小学校卒業後、関西工業学校の夜学に通う。 1943年 応召で繰上げ卒業。戦後大阪市港湾局に土木技師として復職 1952年 漫才師を志し上京。職場の先輩にあたる内海突破に入門 |
芸歴 | |
1952年(昭和27年)内海突破の門下同士でコンビ結成。 1956年(昭和31年)産経新聞社主催若手漫才コンクールに国定忠治の出し物で一位 1957年(昭和32年)第1回NHK新人漫才コンクール「世界旅行をかえりみて」というネタで優勝 1966年(昭和41年)TBS「家族そろって歌合戦」の司会で全国的人気を博した 1967年(昭和42年)第7回日本放送作家協会大衆芸能賞受賞、フジテレビ放送演芸大賞受賞 1981年(昭和56年)芸術祭優秀賞受賞 1987年(昭和62年)瀬戸わんやが病に倒れて活動休止 |
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P R | |
芸名は獅子文六のベストセラー小説「てんやわんや」から頂いた。大塚駅前天祖神社の夏祭りで初舞台を踏み、ドサ回りで習練を積んだ。大柄のてんやが、小柄で額の禿げ上がったわんやをいびり、わんやがムキになって怒るスタイルで人気を博した。新作に取り組む姿勢は積極的で、その中から「ひよこと卵」「どこへ行ったの」などの定番ネタが磨かれた。正月席などハレの場では、鼓・扇を持ち三河万歳を陽気に披露していた。「外れ」のない安定感は抜群で、下卑た話題を避け芸が綺麗なことから東京演芸界中とりわけ優等生的な地位に就き、関西のいとし・こいしと双璧とする評もあった。 |