コロムビア・トップ・ライト

コロムビア・トップ・ライト

コロムビア・トップ

(1922年5月6日 – 2004年6月7日)
本名、下村 泰(しもむら ゆたか)

コロムビア・ライト

(1927年3月30日 – )
東京都港区出身
本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)

加藤隼戦闘隊に所属してビルマ(現ミャンマー)、タイの戦線にいた下村軍曹(下村泰)と池田伍長(池田喜作)が戦後ナコンナヨークの収容所の演芸会で即席漫才をやったのが始まり。復員後、青空トップ・ライトとしてデビュー。

1950年(昭和25年) 池田の死去に伴い、鳥屋二郎とコンビを組み直す。

1952年(昭和27年) コロムビアレコードと契約し、コロムビア・トップ・ライトに改名。コロムビア専属歌手の司会者として巡業等の舞台で「司会漫才」のジャンルを確立。またニッポン放送の早朝番組『起き抜け漫才』で時事漫才のジャンルを確立し、以降社会風刺を効かしたネタで注目を得て、全盛期には絶大な人気を呼んだ。

1959年(昭和34年)記者クラブ賞、読売新聞演芸賞、ラジオ・オリムピック賞受賞。

1963年(昭和38年)「漫才変遷史」の企画・制作の成果に対して芸術祭奨励賞受賞

1964年(昭和39年)漫才研究会の3代目会長にコロムビア・トップが就任。会の名前を漫才協団に改める。

1974年(昭和49年) 参議院議員初当選(3期18年間務める。第二院クラブに所属)。コンビは解散となった。その後はそれぞれ漫談家として活躍。

1995年(平成7年)コロムビア・トップ、勲二等旭日重光章を受章。

2004年(平成16年)6月7日コロムビア・トップ死去。死後、正四位に叙された。

弟子
青空千夜・一夜、青空うれし・たのし、青空はるお・あきお、青空球児・好児、青空一歩・三歩、玉置宏、鈴木やすし、十勝花子、他多数

 

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