松鶴家千代若・千代菊

松鶴家千代若・千代菊

松鶴家千代若

(1908年10月25日 – 2000年6月15日、栃木県出身、本名:安藤定夫)

松鶴家千代菊
(1915年1月19日 – 1996年4月29日、東京都出身、本名:安藤ふゆ)

1923年(大正12年)に千代若が大阪で松鶴家千代八(初代)に弟子入り。

1929年(昭和4年)に地方巡業中に安来節一座に居た千代菊と知り合い、結婚。夫婦漫才を結成。

1939年(昭和14年)上京して浅草を本拠地にする。

1967年(昭和42年)「三河萬歳」で芸術祭奨励賞を受賞。

1974年(昭和49年)に東宝劇場で芸能生活50周年を記念したチャリティー公演を行う。

1975年(昭和50年)紫綬褒章 受章(漫才として初)

1983年(昭和58年)勲四等瑞宝章 受章

1992年(平成4年)ビートたけしら弟子たちがダイヤモンド婚式(結婚60年)を行う。

1996年(平成8年)千代菊の没後も千代若はピンで最後まで舞台に立ち続けた。 タネの最後の「もう帰ろうよ」は衆知ののフレーズ。世間の夫婦の典型、恐妻家と賢婦人を舞台でほほえましく展開、併せてその美声による民謡と千代菊の三味線、時には千代若の鼓で華やかな芸は多くのファンに愛された。又その人柄を慕って多数の門下にいる。 その代表はツービートでデビューした北野たけし、松鶴家千とせ東京二・京太などがいる。 面倒見の良さで芸人仲間からも畏敬を集め、漫才協会(当時:漫才協団)の相談役を務めた。

 

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